モテるために、ぼくなりにやったこと3
どうしてもモテたかったのでがんばったこと。
第3段です。
興味ある方は、こちらもどうぞ。
~ダイジェスト~~~~
入った部活が、世界レベルでした
思いもよらぬ展開に、富士山隊長唖然。
この後どうなる。
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テコンドー部に入部したぼくは、
練習に励むわけです。
ただ、最初はビビり虫でした。
ぼくの中のビビり虫「お前なんかが格闘技なんてわらっちゃうぜ」
ぼくの中のビビビり虫「喧嘩もろくにしたことないくせによ、なにやっちゃってんの」
ぼくの中のビビビビり虫「ケツが震えてるぜ、おしりビビり虫~」
ただ、負けるわけにはいきません。
ここでまた負けるようなやつは知らん、どうでもいい。
とカイジに出てくる利根川さんに怒られそうなので、
頑張ろうと思いました。
なんたって、強くなったらモテそうですからね。
ただ、自分は白帯で、
同期や先輩方は、ほとんど黒帯でした。
ぼくは、殺されるんじゃないかと思っていました。
同期も50人以上いたので、
もちろんほとんど相手にされませんでした。
ぼくの、運動能力はというと、
まず、小学校の時のサッカー部は、後輩にレギュラーを取られ、
高校の体育のバレーでは、サーブやレシーブができると奇跡と呼ばれていました。
あとは、とてつもなく体が硬く、
立っている状態で、下を向くだけでも、
膝を伸ばした状態で、手が膝までも届きませんでした。
最初のころは、柔軟練習が一番つらい練習でしたね。
練習は、毎日月~土の17時から21時、
毎日やっていました。
ぼくの場合は、学校の勉強と、バンド活動とバイトをしていたので、
結構しんどかったですが、ほぼ毎日、部活に顔を出すようにしていました。
そして、初めての試合にのぞみました。
ちなみにぼくが出たテコンドーの大会では、
型(トゥル)と組手(マッソギ)の種目がありました。
試合は、階級ごとに分かれておりトーナメント戦で行われます。
ぼくは、一番下の階級ででることになり、
もちろん組手はボロ負け、
でも、型は2勝するという快挙をなしとげました。
ただ、組手で、
おもいっきり金的をくらい、
内出血を起こしたこともありました。
それでもあきらめませんでした。
ただ、たしかに、教わる先輩もいて、
環境も整っていて、頑張ったら成果がでるんだなと
ぼくは、努力をかみしめるようになります。
先輩もかっこいい人が多く、
ぼくが体調をくずして休んでいると、
電話がかかってきたんです。
ぼく「もしもし」
先輩「体調悪いんだって?今から二郎いくから、食いに行こう。食ったら治るから」
と言われ食べに行き、
そのあと、体がさらに熱くなったのを覚えています。
あ、ラーメン二郎のことです。
知ってますかね?
トッピングの大盛無料ができるんですが、
なぞの呪文を唱えると大盛のラーメンが出てくるんです。
ぼくは「全マシマシでした」
痩せた反動でしょうか?
かなり食べていました。
ちなみに、
テコンドーの道場に入るときの挨拶は、
テコン
とごつい声で言います。
最初は、冗談かなと思いましたが、
本当でした。
テコンドーは、「跆拳道」と書くんですが、
跆=足技
拳=手技
という意味で、蹴りが多い格闘技だと思っていましたが、
そんなこともなく、手技もすごくあります。
人は、あまり足技の練習を普段することがないので、
足技から入る人が多く、足技がメインに見えるんだと、
うかがいました。
そして、テコンドーを続けて三年、
ぼくは、幹部にまでなっていました。
部長、副部長ではないですが、
役割がありました。
どうしてそうなったかって?
厳しくてみんなやめちゃったんです。
最初は、たくさんいて、
強そうな人ほどやめていきました。
大学生だったので遊びたかったんでしょうか?
ぼくは、一度始めたことを投げ出したくないという想いがあり、
継続した結果、残った感じでしたね。
だって、自分の選択を正解にするってかっこよくないですか?
最終的に、3年生は5人ほどになってしまい、
その5人でとある最高峰の大会に出ることになりました。
そして、そのうちの2人は最初からすごかった人ですが、
残りの3人は、最初は白帯から継続して残った3人でした。
その5人で、とある大会の決勝まで残ることになるのです。
つづく
そんな今日は、こんな曲を聴きながら。
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